あこがれの場所

小学校高学年のとき。いじめられていて、以前は仲が良かった友達とのつきあいがめっきり減ってしまったわたしはインターネットに逃げた。今思えば逃げる場所があっただけよかったと思う。インターネットはわたしの心を大いに癒し、救ってくれた。

当時のわたしがネットで何をしていたかというと、大体はオンラインゲームだった。ゲームをしながらプレーヤー同士がチャットで気軽にコミュニケーションをとることができ、同年代の人間との交流に飢えていたわたしはすぐに夢中になった。そして気づくと関西の各地に友達(男の子)ができていた。特に兵庫と大阪の人が多かったように思う。

テレビ以外で初めて触れた関西弁は衝撃だった。おそらく本能の部分で、わたしは彼らの使う言葉を好きだ、かっこいい、と思った。最初はチャットで話していて、そのうち本当になかよくなった人とは電話もした。電話をするのは最高にどきどきした。親のいないところでこっそりする電話だった。受話器の向こうからは声変わりしたばかりの低くて快活な声と、それに混じって車の通る音なんかも聞こえてきた。都会なんだな、と勝手に想像して憧れた。逃げた先に辿り着いた場所だからというのもあるし、実生活では得られない、人とのつながりをくれた友達の居るところだからというのもある。けれどそれらを遥かに超えて、何より言葉が好きだった。彼らと話せば話すほど、関西への憧れが募っていった。

あれから何年か経って、今や名前も思い出すことができないその人たちのことをふと旅先で思い出した。大学受験時まで心のどこかで抱きつづけていた憧れ。それが向けられた関西の地をわたしは旅していた。大学は本当は京都に行きたかったこと、関西人の恋人がほしいと思っていたこと、関西出身の大好きなバンドのこと…。様々なことが頭をかけめぐったが、とりわけ何度も考えてしまうのはネットの友達のことだった。もっとも名前すら覚えていないのだし、何度考えたって情報不足なせいで結論はいつも一緒だし、そもそも考えること自体まったく不毛な行為ではあるのだが。

しかし彼らは、長い人生のうちのほんの一瞬でも、本当に大切でかけがえのない存在だった。顔を見たこともないのに恋をしたこともあった。わたしを好いてくれた人もいた。「他の人と結婚しても、おれはずっとずっとみかげのこと好きだ」なんて台詞、言った本人絶対覚えてないだろうなと思う。大人になった今なら馬鹿馬鹿しくも恥ずかしくも思える言葉だけれど、当時のわたしにとっては心が震えるほど嬉しくて、生きる希望そのもので、おかげで現実では友達がいなくても毎日がんばれるように思えた。そして実際がんばることができた。「ネットにはわたしを好いてくれる人がいる」という揺るぎない確信。それがあったからこそわたしはあの時期を耐えられたのだ。だからこそ大事で、不毛だとわかっていても繰り返し繰り返し想ってしまうのだろう。

せめて、「あのときはありがとう」を言えたら。

いつかまたどこかで会えるだろうか。お互い全くの別人になっていても、笑顔で会えるといい。そんなことを考えながら、あこがれの場所での時間は過ぎていった。