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おばあちゃんへの手紙

おばあちゃんへ

 

お元気ですか。前に痛めた足腰の具合はどうですか。風邪を引いてはいませんか。

この前は美味しいものをたくさん送ってくれてありがとうございました。

お母さんと相談して、もらった牛肉は玉ねぎと炒めて牛丼にして美味しく頂きました。お母さんはしきりに「おじいちゃんは牛肉を醤油と砂糖で甘辛く焼いて食べてたなあ」と言っていましたが、そういえばそうだったかもしれません。我が家の食卓にもよくそんなおかずが登っていたのですが、あれは”母の味”というよりもむしろ”おじいちゃんの味”だったのかもしれません。

こんな風におじいちゃんのことを思い出すとき、おじいちゃんのことを生きていたときよりも近く感じることがあります。おそらく、生きていた頃は生きていることが当たり前で、いつも当然元気な姿を見れるものだと油断していたのだと思います。本当は誰だって明日の命は保証されていないというのが真実なのに。そして運命か神様の悪戯か、その”当たり前”がいきなり奪われてしまったおばあちゃんはどんなに辛かっただろうかと、私はいつもおばあちゃんのことを気にかけていました。

人生の中で最も辛いとされるのは、パートナーとの別れだそうです。おじいちゃんが亡くなってからいくら月日が経ったとはいえ、やっぱり悲しいものは悲しいし、辛いものは辛いと思います。それでも何とか前を向いて、それにじっと耐えてきたおばあちゃんのことを私は心底尊敬します。おばあちゃん、すごい!!

私もおじいちゃんのことを思って、私なりにずいぶん悲しくなったりさみしくなったりしていました。けれど一方で”生きていたときより近く感じる”ことが多く、不思議に思っていました。

そしてある日、はたと「これが生き続けるということか」と思い至りました。人は死んでしまったらそれで終わり……という訳ではなく、その人の好きな食べ物、一緒に行った場所、色んな話をしたこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、時にはケンカをしたこと……そういうことを覚えている限り、折に触れてそれらを思い出す限りはまだ”生きている”ように思います。

話は変わりますが、来年からの進路が決まりました。なんと、おばあちゃんが生まれた場所に行くことになりそうです。不思議な縁ですね。

諸々のことが終わって、忙しさが落ち着いたら、おばあちゃんと旅行に行きたいです。実は春からずっとこのことばかり考えていました。思い切って海外旅行なんてどうですか?折角英語を話せるようになったことだし、ハワイとか行きたいです。お互い元気なうちに、時間のあるうちに、いつかおばあちゃんと一緒に海外へ行くのが私の夢でした。

良いお返事まってます。

 

みかげより