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あなたとわたしがつながるせかい

美術館に行くのが好きだ。

そんなに足繁く通うわけではないけれど、時々無性に行きたくなる。芸術の鑑賞の仕方は正直よくわからない。だけど確かに「なんとなくうけとるもの」はあって、美術館に行くのはそれを得るためのような気がする。それから、いろんな色や形があるのもいい。見ているとなんとなく脳が喜ぶのがわかる。たぶん本能的に、わたしは芸術を愛している。心の奥底の一番大事な部分、そのなかにある小さな引き出しのなかに芸術の居場所があるように思う。

だからだろうか、美術館で作品を見ているとき思考していることはあまり他人にひけらかしたくない。自分の一番大事な部分、ともすれば一番弱い部分を剥き出しにするのはためらわれる。そこが傷つくのは避けたいと思う。

そんなわけで誰かと一緒に美術館へ行っても気の利いた感想など言えないのが常であり、しかもそれでいいと思っていた。とりあえず適当に「すごいねえ」と言っておけばあとは相手が勝手にその人の価値基準にあてはめてわたしの「すごい」を解釈してくれるに違いないし、その人の「すごい」とわたしの「すごい」に差異があったとしてもまあいいやと思っていた。それにそのくらい適当で無責任でも、その場をやりすごすことは十分できる。そもそもわたしは他人と「わかりあう」ことを放棄しているのかもしれない。

蜜のように甘い”美の記憶”は独り占めしたい。「わかりあう」なんてまっぴらごめんだぜ(と思いつつどこかでは「わかりあいたい」と切望しているし「わかりあえない」とひどくさみしい)。

………とまあ、このようにとても面倒な性格をしたわたしなのだが、だからこそ最近起こった出来事は新鮮だった。

その人のことは今もよくわかっていない。好きな食べ物も誕生日も知らない。何が好きで何が嫌いで、普段どんな時間の流れの中で暮らしているかもわからない。けれどなんとなく、芸術に関しては全幅の信頼を置いている、という人である。

ひょろりとしていて、常に穏やかで、淡く霞む春のような雰囲気をまとっているその人を、美術館に行きましょうと誘った。特に深い理由はなくて、なんとなくおもしろそうだなと思ったから。他の人にはきっとそんなことしないと思う。その人とだからしたい、と思った。

作品を見ている間は基本的に黙っていたのだが、ときどき「これは!」と思った作品があって、そんなときは2人にしか聞こえないような小さな声で思ったことを言い合ったりした。そのとき自分でびっくりしたのが、驚くほど素直に自分の感じたことを伝えられたことだった。その人への信頼がそうさせたのかもしれない。きっとこの人になら変なこと言ってもわかってもらえる、と根拠はないけどそう思った。それに実際、なんとなく伝わっているように思った。その人の感想をきくのもとても面白くて、こんな楽しみ方もあったんだなあと、美術館を今までより好きになった。

美術館を出たあとは2人で歩きながら他愛のない話をした。風が強かったけどぽかぽかあたたかくて、話をするのは楽しくて、なんだか懐かしいような嬉しいような気持ちになった。途中、たぶんカップルに間違えられてマンションの勧誘をうけたり、道に迷ったり、行きたかったお店が閉まっていたり、水で擦った炭のような色をしたカレーを食べたり、一緒に絵を描いたり、また歩いたり、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだり、本を読んだりした。本を読んでいるときちらりと横を盗み見ると、いつもはふわふわとしている雰囲気がきりっと引き締まっていて少しどきっとした。それからほどなくしてお別れの時間がきて、ではまた、を言い合って、その人は人ごみの中に消えていった。

わたしは小さく手をふって、それから来た道を少し引き返し、色とりどりのモノがひしめくお店の間をぶらぶらと歩きながらその日のことをぼんやりと思い返した。

また会えるだろうか。

ひょんなことから細くつながったこの縁が、今日よりもっと先まで伸びていて、そこにはもっともっと楽しいことがたくさん待っていますように。

相手が同じことを考えているかどうかはわからないけれど、自分1人だけのエゴな願いかもしれないけれど。またつながれたらいいな、と願わずにはいられなかった。