逃避行

祖父が亡くなった。

 

それだけで人間ここまで精神状態おかしくなるものか、というくらいに色々とぼろぼろです。前回の記事はやっぱり躁鬱の躁だったのだと思います。

 

 

他人を自分の問題にいちいち巻き込むな、と言われてからわたしはきっとある種の人間不信に陥っている。

何をするにも臆病だ。人を信じられない。ほんとうに優しい一部の人たちを除いて、友人も知り合いもきっとどこかでわたしを悪く思っているのだろうと思う。

いっそのこと誰かに殺してほしい。自分の体なんてどうなってもいい。もっともっとぼろぼろになってすり切れたようになりたい。

そうやって私が死んだらみんなは悲しむかもしれない。もしかしたら泣く人もいるかもしれない。けれどわたしはそんなとき思うだろう。偽善者め、と。自分のために涙を流すことしかできない人たち、わたしはそういう類の人たちがいちばん嫌いだ。心底憎んでいる。わたしのことなんていつもは何とも思ってないくせに。人が死んでから「あのときああしていれば」なんてよく言えたものだと思う。

 

他人には頼るなと言われたので、いちばん近い他人、血のつながった他人である家族に救いを求めようとしてみたけれど、どうにもなりそうになかった。みんなそれぞれ戦っていて、弱音を吐くなんてできない。だから我慢するしかない。何もなかったかのように振る舞おう。こわいつらいいたいかなしい、をそのまま心の中に押し込めてしまおう。気丈にふるまおう。なーんて生活していたら、とうとうわたしは壊れてしまったみたいだ。

 

きっと他人には頼るな、ではなくてお前なんかに構ってる暇ないから大人しくしてろ、とか余計なことごちゃごちゃ言ってんなばーか、とか言いたかったんだろう。自分の本当の気持ちもわからずに。いや、そもそも気持ちなんてもの持っているかさえ怪しい。きみはわたしとは随分ちがう世界を見ているみたいだ。さみしい。わたしが美しいとおもうものぜんぶ、きみにはガラクタに見えてしまうのですものね。つまらないひと。しんそこ器の小さいひと。

 

だれかに会いたい。けれど同時にだれにも会いたくない。明日目を覚ましたら、ここではないどこかにいたらいいのに。

神様ではない何かに祈りながら枕を抱きしめてねむる。

最近のなめちゃんがポジティブすぎて怖いとかいう話

昨日あたりから、最近ずっと悩んでたのが馬鹿みたいに思えるくらいに幸福感が持続していて気持ち悪い。

いや、実際のところ未だに様々な悩みがあるし、あるんですけど、でもいちいち悩まなくなったんですよ。ネガティブでも30分くらいたつとポジティブに切り替えられる。これってすごい、私にしてはかなり珍しい精神状態。

でももしこれが躁鬱の躁だったとしたら怖いよね☆なんちゃって☆きゃっきゃっ。

 

休学して我が道を進んでいる同じ大学の先輩(お会いしたことはない)のブログを発見して、うんうんとうなずきながら拝読した。すごい。休学した、ということがすごいと思うのではなく、「これがやりたい」→「そのためにこうする」というのが非常にクリアなビジョンとしてご自身のなかにあるようで、その状態がすごく羨ましかった。僻みではなく、私も絶対そうなりたい!という羨ましさ。

私は今は「これがやりたい」を探している段階。選択肢はいくつか出てきたので、焦らず、見極めようと思う。それは今回の留学の目的のひとつでもある。そんなの贅沢だって言う人もいるかもしれないけれど、私にとってはかなり大事な作業なので、なんとかアメリカに辿り着けたことはすごくよかった。本当によかったと思う。

大学に入って、何の疑問ももたずに授業に出て勉強をして、たまたま自分の所属する学部の扱っている分野に興味がもてて、研究室配属になって研究して、卒業して、就職して、結婚して…なんて見本みたいな生活が送れる人、それで幸せを感じられる人はいいなと思う。みんながみんなそんなにうまくいくわけない。

もちろんはっきりとした目的意識をもって逆算して(たとえばこの教授の研究している分野が好きだからこの研究室に入りたくて、そのためにはこの大学を受験しよう、みたいな)大学に入れる人もいるしそれはそれですごくいいと思う。少なくとも私にとっては理想的な大学の入り方だ。でも大学受験ってさ、往々にして自分の学力レベルとかセンター試験の結果とかで決まってしまうものじゃない?わかんないけど。大半の学生は「この勉強がめっちゃやりたい!!」って思って入学なんかしないと思う。どうなんですかね学生のみなさん。

私はと言えば高校の文理選択あたりから自分の将来とかやりたいこととか分からなくなっちゃった類の人間で、最近までずっとその怠惰な雰囲気を引きずって生きてきた。特に勉強面では周りの人から見ればのらりくらりやり過ごして生きている人のように見えたんじゃないかな。当たり前だ、自分のやりたい勉強がなんだかよくわからないままずっと”やらされている感”を継続して勉強していたんだから。自発的に勉強したことなんて大学入ってから一度も無いと思う。

全ては”卒業するため”、”教員免許をとるため”の勉強だった。そういうのって悲しくないですか。せっかく大学にいるのに、せっかく時間があるのに、何でも好きなことができて自由な今、そんなにぼんやりしてちゃもったいなくないですか。と、大学3年にして思った私。今までの時間なんだったんだー!けして無駄ではなかったけれど!!

正直、「今さらこんなこと考えてもな」とは思う。だけどタイミングというものは残酷だし、タイミングは自分で調整できるものではないし(もしできる人がいたら是非そのコツを教えてください)、今この時になって気づいたのも何かの運命だったと思わないと悔しくって悲しくってやってらんない。ポジティブに考えればあと2年半は学生やれるみたいだし、まだ時間はある。

それに今までの2年半、悲喜こもごも含めて本当に色んなことがあって、この2年半が無ければ経験できないようなこともたくさんあって(アメリカ行ったり韓国行ったり中国行ったり)、そういうの全て”今の私”を形成するのには欠かせない出来事だったと肯定的に受け止められる。”今の私”は後悔もしているけれどそれよりずっとポジティブで、「さてこれからどうしよう」と考えているからかなり前向き。よかったー、勉強面では勿体無い2年半だったけど、ぜんぜん無駄じゃないなー。

 

そうそう、アメリカに来てからもう50日くらい経ってしまったようです。怖い!あっという間でした。クォーター制だからかな、時間の流れがはやいはやい。東京水準の物価にも慣れてきたし、生活にもだんだん適応できてきたからこれからはガンガン攻めの姿勢でいきます、なんて抱負をば。

勉強面以外でこちらに来て良かったなあと思うのは、自分が元居たコミュニティから抜け出して、全く新しい土地、全く新しい環境に飛びこめたこと。日本人含め色んな出身の人と話せるのは自分にとって予想外の影響をもたらしてくれるので面白い。もちろんそういう経験は日本国内でだって十分できると思う。代わり映えしないように見える、一見すると繰り返しの日々の生活のなかにだって数えきれないほどの出会いがあり、かけがえのない経験ができるチャンスが潜んでいる。同様にアメリカにはアメリカならではの出会いがあり、経験がある。わたしはたまたま後者の機会を得られたのでよかったなあと思っている。単純なことだ。

留学の目的とか成果とかは本当に人それぞれで、それらを集計してならしてあげれば大体のパターンのようなものはできるけれど、そればかりに惑わされちゃいけないなと思う。自分がどう思ってどう行動するのか。そんなの当たり前のことだし当たり前にできる人の方が多いだろうけど、”自分を見失わない”ことって本当に大事だ。わたしは見知らぬ土地に行くのが好きで、海外に行くっていうことは全身が震えるくらいわくわくすることで、だからチャンスがあればできるだけ色んなところに行きたいし自分でそのチャンスを生み出したいって思ってる。暴論かもしれないけどそういうのだって立派な留学の理由になると思う。

 

自分が何書いてるのかよくわかりませんが、とにかく今の私は超ポジティブです。もうね、スーパーサイヤなめこですよ、ええ。今のうちに頑張りたいこと頑張ろー!あわよくばこのままポジティブ持続しよう!!!

というわけで、なめこ、頑張ります。ふぁいっ!

たまごを茹でよ、貪り食えよ(鬱日記)

https://twitter.com/rerumrum/status/528974787134373889

 

「つらいときにはたまごを茹でればよい」ーーーこれはわたしが大学に入学してから学んだ数多くの”生きるヒント”のひとつである。

 

 

…嘘です。気持ち悪いくらいに大袈裟なこと言いました。でもゆでたまごっていいですよね。真っ白ですべすべだし、黄身はぽくぽくしていて。

深夜、誰もいない台所でひとり静かにたまごを茹でる。罪なきたまごたちが闇のなかでぼんやりと白く浮かび上がるのを眺めながらぼーっとしていればなんとなく落ち着いてくるような気がするし、長くさみしい夜をたまごと共に過ごせば孤独感も和らごう。さらに嬉しいことに、調理後にはおいしいゆでたまごにもありつける。いいこと尽くめではないか。まだほかほかと温かいゆでたまごをパクリとするのもよし、冷水できちんと冷やしてから静かに食べるのもよし。ちなみに私のおすすめの食べ方はシンプルにお塩をまぶすか罪悪感を感じながらマヨネーズをぬりつけるかです。半熟にしてカレーにトッピングしてもおいしい。麺つゆを水で希釈したものにゆでたまごを浸しておけば翌朝にはおいしい味玉を楽しむこともできます。

わたしは声を大にして言いたい。すなわち、ゆでたまご最強である、と。

 

…嘘です。本当は深夜のインスタントラーメンも好きだしカップ焼きそばも好きだし玄米茶なんかもみんな最強だって思ってます。真っ暗な部屋でラジオなんか聞きながら食べたいです。窓にはきれいな月が映っているとよいと思います。

 

 

今日起きた瞬間悟った。わたしはどうやら風邪を引いているらしいぞ、と。熱がありますぞこれは熱がありますぞと慌てて体温計を引っ張りだしてみたものの計測一回目は6度8分。いやいや7度はあるでしょうよと計測二回目にのぞむと今度は6度3分などと言いやがる。しっかりしてくれよ体温計(made in Japan)。きみまでこちらの適当な文化に汚染されてしまっては私が困る。

 

最近まで「デング熱は大丈夫ですか」「デング熱対策しっかりしてください」「心配ですデング熱」とやたらデング熱推ししていた父親がようやく”エボラ出血熱”という単語を覚えてくれたのがここんとこいちばん嬉しかったことです。嘘。最近いちばんうれしかったのは人に優しくしてもらう機会に恵まれたことです。悩んでいたり落ち込んでいたりする私に声をかけてくれる人の言葉がとても嬉しく、同時にものすごく励まされています。ツイッターで愚痴を吐いちゃいけないなんてことない、それはすごくよくわかってるのだけど”負の感情”を撒き散らすような行為は往々にして迷惑行為になるよなと私は思っていて、思っているのだけど、それなのに迷惑行為をやめられない自分が情けない。直接会って話したことしかない人にわたしのツイートを見せるとよく驚かれるから普段会う人にはあまり愚痴をこぼさないのだと思う。けれど結局ツイッターに吐き出しているということは、つまりそうやって場所を使い分けることによって自分のバランスを取っているのだろう。

「つらいつらいつらい」と言っている人に対してやれメンヘラだの精神衛生に悪いだのと言う人がいる。どちらが正しいとかいうことはないけれど、前者の言葉は不快感を与えるかもしれないし、後者の言葉はあまりにも酷だし前者を馬鹿にしている感じさえする。後者側の冷たい言葉、そんなものにいちいち真っ向勝負を挑んでいたら必要以上に傷ついて落ち込んでしまうだけなのに、前者側の人間はいちいち気にしてしまって落ち込んでまた吐き出す。どこに?ツイッターに吐き出せなかったら、どこに?友達がいなければ?家族が信用できなければ?どこに?どこに吐き出すというのだろう。そもそも負の感情を持つなというのは不可能だ。どこに。自分でなんとかしなさい、もう大人なんだから、と言う人もいるかもしれない。ごめんなさい。ごめんなさい。それでもわたしはやめられない。吐き出したい。吐き出す場所がない。苦しい。「つらいつらいつらい」。

 

たまにふと、助けてほしいなと思う。自分から助けてもらいに行ったこともあった。専門家は優しい。結局は自分で答えを見つけて自分で立ち上がるしかなくても、彼らは力を貸してくれようとした。嬉しかったけれどなんだか情けなかった。「ああこんなに弱くなってしまった、」とわたしは思った。強くなりたかった。誰のお荷物にもなりたくない。自分の力だけで歩けるようになりたい。けれどそうなるまでの過程、誰かの助けを借りざるをえない自分に腹が立った。自分ひとりでやりなさい、人に迷惑をかけるな。むかし母親に諭された言葉が頭の奥の奥の方で低く唸る。あぁこんな人の助けを借りてしまった、わたしは弱いのだ、友達を多くつくれず家族とうまくコミュニケーションがとれないわたしは弱いのだ。結局1人では何もできない。本当になにもかもうまくいかない。

たとえばこんなわたしがある日自ら命を絶ったとして、周囲の人間は嘆くだろう。たぶん。わたしのことをメンヘラ呼ばわりしている人たちでさえも「あぁあのとき優しくしていれば」などと言うだろう。ふざけるな。人を非難するなら最後までその姿勢を貫けばよい。わたしが死んでも「当然だ、ざまあみろ」と言うくらいでいろよと思う。「あぁあのときああしていれば」なんていうクソみたいな感情は後悔とかじゃなく、単にわたしを非難していたことに対する罪の意識だ。そうやって自分が当事者のように勘違いして陶酔しているだけだ。 結局何もする気なんかなかったくせに「あのときああしていれば」なんて言うのはずるい。

ずるいよ、と頭の中で叫んでベッドに倒れ込む。睡眠も栄養も足りてない。気の休まるときがない。でもきっと日本に帰ったって状況は一緒だし、友達は少ないけれど授業が楽しいからアメリカにいるほうが数百倍幸せのような気もする。大学に帰りたいとか、思うんだろうか。全然わかんないや。帰りたい場所がないってなんだかさみしいな。

ステイ先の親戚のひとが「むずかしいこと考えないで、今を楽しみなさいよ、若いんだから」と言っていた。でもわたしは悩んでしまう。もう少し、もう少しだけ考えたら、そのあとはーーー。できれば元気になりたいな。そしたら帰りたい場所だって見つかるかもしれない。

 

僕と鼻

僕と花、という曲が聴きたくなって立ち上げた動画サイトの検索窓に「ぼくとはな」と入力したところ思わぬ方向に予測変換されたので思わず吹き出してしまいそのせいで勢い余った私の薬指がエンターキーを強打、結果として白く細長い入力スペースには頼りなげに「僕と鼻」という文字が踊ることになったとかいうべつに面白くもなんともない前置きはこのくらいにして。

いや待って。僕と鼻って存外面白くないですか?鼻って誰の鼻なの、とか鼻に何があったの、とかつっこみたくなるし疑問を抱かせるのが”僕”じゃなくて”鼻”っていうところも腑に落ちない。”僕”って誰、と思ったってべつに普通なのに、そういう思考の一切をおさえて”鼻”が先行するのがずるい。僕と鼻、僕と鼻ですよ。なにより語感がシュール。っていうかぁそれどんな曲、どんなミュージックなんですかぁ!?!??とか下らないツッコミを考えるのもこれくらいにして。

 

悩んでいたり苦しんでいたりする人に、1人で立ち直れというのは適切だろうか。

…とかいうことを最近ずっと考えていて気が滅入っている。

どんな考えに至っても「ああ言えばこう言う」でたちまち脳内で論破がおきる。結局は自分の好きなままに考えればいいじゃんと思うのだけど。

わたしに関して言えば、できるだけ手を差し伸べたいと思っている。完全に自己満足だ。けれど誰かに手を差し伸べてもらったときに感じる言いようの無い安心感を知っているから、お節介を承知でついつい人助けしたいななんて思ってしまう。

甘やかしているだけかもしれない。助けてなんかいないのかもしれない。それでも心配で、どうにかしてあげたいという気持ちが勝ってしまうのだ。

けれど同時に「助けてもらいたい」と思っている人にも物申したい気持ちがある。考えて文章にするのが面倒なので詳しくは書きませんけれど、ひらたく言えば「わがまま言うんじゃない」とビシっと言ってやりたいような気持ちだ。

そんなこんなでわたしの偽善行為は非常に気まぐれだ。人を心配する気持ちは変わらないけれどアクションを起こすのは自分に余裕があるときだけ。自分が潰れてしまっては人に力を貸すこともできないので自分はいちばん大切にしようと思っている。

それにしても人助けっていう言葉、なんだか驕っているような印象さえ受けるなぁ。人を助けたようでいて実は本当に助かっているのは自分自身なのかもしれない。

 

余談。

先日タイムマネジメントに関するレクチャーを受ける機会があった。一日の時間の流れを把握するだとか、行動のチェックリストを作るだとか、その行動に優先順位をつけて動くだとか。そういうことは今まで腐るほどやってきたはずだしべつだん新しいテクニックを学んだわけでもないし、むしろ自分はそのレクチャーを上から目線で聞き流すような態度さえとっていたのに、レクチャー後にはそういったことを実践して以前よりも時間を有効に使っている自分がいて我ながら情けなくなった。いくら偉そうに”わかっている”と言えたとしても、その知識を持て余していた自分は慢心しきっていたのだ。驕っている自分が醜く見えた。

そろそろ中間試験が始まるし、がんばらねば。

近況報告

出国日が決まりました。来週の金曜日です。うわぁー。荷造り?本格的に始めてない。航空券?…まだとってない。うわぁ〜〜。

でもね、ビザは来ました(ほっ)。いよいよです。一ヶ月前に買った英会話の本にほとんど手をつけず、向こうの大学での履修登録も済ませず、…と本当に準備不足。ちなみに滞在するお家も決まっていません。ああ〜。たくさんの不安に押し潰されて、最近はお家でひたすらじっとしています。あくびをしたりぼーっとしたりインターネットをしたりお酒を飲んだり。現実逃避の悪循環無限ループってきっとこんなかんじ。

もともとお尻を叩かれないと”できない”タイプの子ですが、二ヶ月くらい前に調子を悪くして以来ずーっとこんなふうにぐでぐでしていて、自分でもやんなっちゃう。

ひたすら眠って、眠り疲れてしまったら起きて、起きているときは何もできなくて、心ばかりがもやもやして。

いちばん困ったのは、”お仕事”ができなくなってしまったことです。授業に出れない、とかなら自己責任だけで済むからいいんだけど、サークルみたいなものとかその他いろいろなところで役割をもっていたりしたのでもう大変。たくさんのひとに迷惑をかけてしまいました。そのひとたちはわたしがわたしなりに一生懸命だったことや、わたしがわたしなりに辛かったことはわかってくれないだろうと思うし、わかってくれなんて言おうとも思わないし……だけどわたしはいろんな人の心の中で責められつづけるんだろうなって思うとすこし心が痛む。わたしはそのたび謝りつづけることしかできないし、言い訳なんかしないだろう。

わたしのことをよく知らない人には「しっかりしてるよね」「まじめだよね」と言われるけれど、そうじゃないんだよな〜それだけじゃないんだよな〜〜と思いながらお酒をぐびぐび飲んでいます。隙をあまり見せない私も私なんだけれど。

最近ツイッターで歌詞ツイートをして遊んでいるのですが、たまに真剣に心配してくれる人がいてすごく申し訳なくなっている。申し訳なさよりも楽しさのほうが勝ってしまうから、たぶんもうしばらくは同じことして遊ぶと思いますが。

 

スケッチブックのページをびりびり引き裂くのって、過去の思い出と決別するのと似てる。

と、引き裂いたあとに現れた新しいページに書きなぐっていた過去の私。

最近、スケッチブックには絵だけではなく文字なんかもあわせてつらつらと書いているのだけど、後で見ると恥ずかしすぎて燃やしたくなってしまう。燃やすというのは冗談だとしても、びーーっと破いてくしゃくしゃに丸めて捨てようか、なんてところまでは本気で思う。でもなんだかんだで結局しないんだよね。赤面しつつも破らずに取っておくんだよね。振り返って見るたびに恥ずかしいって思うに決まってるような過去のわたしも、大切なわたしの一部なんだと思うと、捨ててしまうのがなんだかかわいそうになってしまって(さてはよっぽど自分のことが好きだな、こいつ)。

...なーんてね。自戒のつもりで取っておくのですよ、本当は。このときのわたし、その場の感情に任せて勢いでこんなこと言ってたよ!っていうのをね、ページをめくるたび何度も何度も思い出しては悶えて「もう二度とこんな恥ずかしいこと思うもんか」ってメラメラと決意するためにね(こう書くと今度はドMみたい)。

わたしのスケッチブックは自分自身と対話するためのものであって、恥ずかしいこと書いても平気なのは「人に見せる」なんてこと絶対に意識してないからなんだろうな。逆に人に見せようと思ってかいてみるとちっとも面白くないものばかりページにあふれてしまってよろしくない。肩に力が入ってしまうんですね。

自分との対話の過程でできあがった絵をたまに「こんなの描いたよー見て見て~~」っていう気分でついったーに流したりしますが、あれはただの自己満足です。

 

そんなことはさておき、ここまで書いたところでさっきいきなりブラウザが強制終了しちゃって、「え...いちからやり直し...」と絶望したのも束の間、記事が残ってたよ!!!

はてなぶろぐ万歳。自動保存機能万歳。

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 写真は某喫茶店でご馳走していただいたクリームソーダです。この緑色の液体そのものや真っ白なバニラアイス、中にひしめく氷や底からたちのぼる細かい泡のひとつひとつ、とっても宇宙を感じる。とか、宇宙ってなんだか分かってもいないくせに生意気言ってみる。クリームソーダが大好きなお子ちゃまです。

 

最近のわたし。

1.わけもわからず夜ふかしをする(平均就寝時間:4時)

https://twitter.com/rerumrum/status/502874299145797639

片手にお酒があればもう立派な飲んだくれだと思うんですが、残念ながらその域には達しておらず。

 

2.バイトする

最近までお昼のみバイトをしていました。

https://twitter.com/rerumrum/status/503097599033745408

これはバイト先でお世話になった方に言われた一言。まったくそのとおりだと思います。お酒とおつまみさえあれば人生いつでもどこでも楽しいです(あれっなんか違う)。

 

3.飲む

何を飲むかは言わずもがな。

 

4.好きなことする

よーしお菓子作るぞ~~☆と意気込んだ矢先のことでした。

https://twitter.com/rerumrum/status/502812180572409856

しばらくチーズケーキは作れないと思います。おかげさまでばっちりトラウマになりました。

 

5.好き放題に荒れてみる

おすすめはしません。品性が問われます。

https://twitter.com/rerumrum/status/502007393035628544

https://twitter.com/rerumrum/status/502007553996255234

わたしはわたしが楽しそうでなにより嬉しいなぁ(棒読み)。

 

 

さてさて。ここで言うのもなんですが、9月末からアメリカに行くことになりました。

帰ってくるのはたぶん来年の6月くらいになると思います。日本で過ごす日々は残り少ないですが、みなさんたくさん遊んでくれると嬉しいです。もう遊んでくれた方々、どうもありがとうございました。まだの方はぜひ飲みに行きましょう、明るいお酒を楽しみましょう。

以上、久しぶりの更新でしたとさ。

さくらいみかげの深夜ごはん

深夜の投稿です。せっかくなので飯テロ行きます。

 

”オクラのささみ巻き”

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オクラを縦半分に切って(切らなくてもよい)、二枚くらいに薄くスライスしたささみを巻きつけて焼きます。巻く前のささみには塩コショウで下味を。ささみは筋を取ることをおすすめします。

火加減は最初は中火、肉に焼き色がついたら少量の料理酒を入れて蓋をしたのち弱火で蒸し焼きに。

ご飯のおかずにも、お酒のお供にも。低カロリーだけどボリュームがあるのでダイエット中の方にもおすすめです。