社会人になって1週間すぎた

Some day I'll toss all your presents

And bury the letters left unsent

'cause it's bad to do what's easy just 'cause it's easy

And I want to do what pleases me but I can't

--- Oats We Sow/Gregory and the Hawk

 

しゃかいじんになって1週間がすぎた。全く新しい場所で全く新しいことをしている。

新しい家はそんなに広くはないけれどとても住み心地が良い。広くて明るいキッチンに一目惚れして決めたのだけど、残念なことに肝心のそのキッチンが下水くさくってかなわない。不動産屋に何度も連絡をして、やっと工事に来てもらったのにまだ直らなくってしょげている。でもそのことを除けば本当に住み心地が良い家で、引っ越してきてから2週間でようやく”我が家”と思えるようになってきた。それだけ私もこの家に、そしてこの土地に馴染んだのだと思う。

仕事に関しては、大したことをしていない。研修期間中なので当然である。けれども慣れない満員電車や独特の緊張感が私をことごとく疲弊させるらしく、毎日毎日行って帰ってくるだけで精一杯だった。それゆえかこの1週間は今まで経験したどの1週間よりも長く感じられた。初めてむかえた土曜日の昼、無理やり三度寝くらいした寝ぼけ眼に映ったのはシンクにたまった1週間分の食器の山。思わず笑っちゃった。

 

1年前の今頃は自分がまさかこんなところでこんなことをしているとは思っていなかったので、ほんと人生なんてわかんないもんだなーと思う。

歩みたい道があった。けれどもそれは自分の意思だけで選べるものではなかった。

行く手は幾度もふさがれ、そのたびに私は自分を責めた。

壁にぶつかるたびに自分がいかにちっぽけで繊細で役立たずであるか思い知った。そこにたたみかけるように浴びせられる”祈り”の数々。ボロ切れのようになった頃、やっと内定が出て、バイト先の自転車置き場でその知らせをうけた私は思わず飛び上がって喜んだのを覚えてる。

思い返せば私が救われたのは、今いる会社の人事の「そうかなぁ?」という一言によってだった。それまで就活がなかなかうまくいかなかった理由や、色んな会社の色んな人事に浴びせられたひどい言葉の数々を、無理やり貼り付けた笑顔で、心はカラカラの砂漠のままで、「〜〜ということを言われて。だから私、(希望する職種に)向いてないのかもしれません」とその人に告げたときのことだった。頷きながら私の話を聞き、う〜んと唸ったあと一呼吸おいて、ぽつりと言った言葉が「そうかなぁ?」だった。そして「そんなことないと思いますけどねえ」と続けたのだった。びっくりした。それまで否定され続けてきたことを肯定されたのが初めてだったからだ。そしてそのとき「もしかしたらここでならやっていけるかもしれない」と淡い期待を抱いたのだった。さらに嬉しいことに今、その期待はどんどん確信に近づいていっている。まあまだ1週間しか経ってないんだけど。

 

こんな価値のない人間ははやく死んだほうがいい。

と、去年の夏は本気でそう思っていた。けれど黒く冷たい川に身を投げる勇気もなくて、本当に本当に弱い自分にしょげかえっていたのが嘘のように毎日が楽しくて、生きていてよかったなあと思える。もしこれが一瞬のもので、今後また痛切に死にたくなるときがきたとしても、一瞬だけでも「生きてて良かったなあ」と思えたことは私の人生にとって価値あることになることは間違いない。

果たしてこの感じがいつまで続くのか。にしゅうかんめに乞うご期待。

やる、やらない、やれる、やれない

最近、「やれるのにやらない」「やれるのにやれない」の違いを考えている。

「やれるのにやらない」、これは能力があるにも関わらず行動を起こしていない状態で、ときに怠惰とみなされる。一方「やれるのにやれない」は、持っている能力が何らかの理由によって発揮されていない状態をあらわしていると解釈できる。

 

留学していた頃、全く勉強に集中できなかったことがあって、これは自分の怠惰のせいなのかそれとも何か他の要因があるのかその両方なのか、よくわからないままモヤモヤしていた。

そんなモヤモヤふりはらって、とにかく目の前のことに集中していればきっと穏やかに時は過ぎたのだろう。世の中の「デキる」人はそういうふうに着々と物事を推し進めていける力をもっている。わたしはばかなので頭の中にある色んな雑音に惑わされ、心のざわざわをとめられず、ただただ毛布にくるまるばかりだったけれど。

 

本当は「やれる」し「やる」人なのに、ひょんなきっかけで「やれなく」なってしまう人は多いと思う。そのことに本人が気づいていたり、原因がはっきりしていたり、その原因が直ちに解決できるものであったりすればいいけれど、もしも本人が気づいてさえおらず、原因不明の虚無に対して苦しくもがいていて、けれどそれを表には出さず、周囲の人たちに対してはいつもどおり気丈に振舞っていたとしたら、それを見ている人間はきっとその人の笑顔だけしか見えないから、「ヘラヘラしてる余裕があるくせに、どうしてやらないんだ」と憤るかもしれない。その笑顔の向こうにはかすかに涙が滲んでいるかもしれない可能性には思いも馳せず。

でも、ふつうはそんな可能性、思いつかない。よほど想像力をはたらかせないかぎりは。

 

「やれなく」なるきっかけなんて単純で、実はどこにでも転がっている。「道端に転がっている小さな石に突然足をとられて転んだ」ことをハハハと笑い飛ばせる人もいれば、その瞬間かあっと頬が熱くなり涙がこぼれああなんて私はダメなんだろうとドン底まで落ち込んでしまう人だっている。それが晴れた日曜日の出来事でも。

心のコップに溢れる寸前まで感情を溜め込んで、それでも我慢して人前ではにこにこしている人もいる。それがその人の誇りだから。その人が”その人”として人前で果たすべき義務だと信じているから。

色んな人がいて、それぞれが色んな事情を抱えている。色んな正義がある。色んな信条、誇りがあって、どれがいいとか悪いとかではなく、ただただそこに存在している。

異なる心をもった生き物どうしが、それでも共に暮らしていくために、お互いの差異とどうつきあっていくべきなんだろう。

どうやったらみんなが幸せになれるんだろう。

 

自分を責めながら目に見えない敵と戦っている人、今にも溢れそうなコップを震える手で胸のうちに抱く人が、いつか心の底から安心して自分の居場所を見つけて、ほっと息ができますように。

生活はつづく

私はずっとここが好きだから、できることならハチもここを愛して、その思い出を忘れないで大切にしてほしい。

吉本ばななハチ公の最後の恋人』 

 

古くなった家具とベッド、布団を捨てた。早ければ来月の末に引っ越すと思う。

4年も住むとだいぶ街に慣れてきて、常連のお店なんかもできて、ようやく”居場所”を見つけられたように感じ始めた頃に離れなければならないのはさみしいけれど仕方がない。

いろんなものを処分したせいで部屋は随分広く感じられるようになった。そのせいか頭もすっきりし、ずっとざわざわしていた気持ちも落ち着いた。

とてもいい映画を観て、好きなアーティストのCDを買った。

料理もする。鍋が多い。敬愛するY先生のお味噌汁の要領で、最初に肉などの具材を香ばしい油で炒め、そこに葉っぱを手で千切って入れて水を加え煮る。味付けには大体味噌を使う。

なんにも具がないときはお粥もどきを作って食べている。

夜はなるべく早くに寝て、朝はだらだら寝ることをせずにきちんと起き、朝日を浴びながらお茶や珈琲や白湯を飲む。

 

自立したい。人の助けは借りるとしても、1人で十分充実した人間になりたい。人の温もりに依存せずとも、自分で自分に居場所を与えられる人間になりたい。

生活をしっかりさせることが苦手だったけれど、そういうのをちゃんとやることから始めたい。

 

生活はつづいてゆく。

さくらいみかげのセンチメンタルジャーニー

なにが悲しいのでもなく、私はいろんなことにただ涙したかった気がした。

ーーーよしもとばなな『キッチン 』 

 

父と母が家にきて、4時間くらいいて、帰っていった。

父は還暦を超え、会うたびに老いてゆくのが目に見えてわかるような年齢になった。いや、たぶん人は毎日それなりに老いていくから、今までは一緒にいすぎて気づかなかっただけで、今はたまに会うことしかしないから、会うたびによりくっきりと”老い”が感じられるというだけのことなのかもしれない。

とにかく。父は老いているし、これからも老いてゆく。

そしてその丸い背中を見るたび、なんだかどうしても切なくなってしまうのだ。

父は私と姉のことが目に入れても痛くないくらいかわいいらしく、本当なら毎日でも電話したいらしい。最近は気を引くようなメールを寄越して、こちらから電話させるような高度な技まで身につけている。電話をするとすごく嬉しそうな感じで出る。だから本当はもしかしたら、毎日こちらから連絡をすればいいのかもしれないのだけれど、抵抗があってそれはしない。気恥ずかしいし、あまり連絡すると逆に心配をかけるような気もする。ほら、「便りのないのは良い便り」とよく言うではないですか。

それに、私が父にあまり連絡をしない本当の理由はもっと別のところにあるような気もする。

手前味噌だが、優しいし思慮深い父だと思う。けれど良好な、健全な親子関係を築けたかというと、今ひとつなにか足りないような気もする。

そしてそれは多分、親とのコミュニケーションが一番必要な時期に面と向かって話をしなかったからではないだろうか、と思う。

会話がなかったわけではないのだ。でも、深い話をしていたわけでもなかった。そりゃあ娘と父親だから、思春期とかにそんな深い話をできること自体レアケースなのかもしれないけれど、なんとなく私は父と真剣に話をしたかったように思う。けれど当時、家族全体にあまり余裕がなかった。母は不在の時間が長かったし、父も仕事が忙しく、私も私で部活やら勉強やらに一生懸命だった。だから誰が悪いとかいうことじゃなく、ただタイミングが合わなかっただけなのだと思うのだけれど……それにしても、ちゃんと話ができなかったのは残念だったような気がする。

正直に言えば、両親のことをちょっと恨んでいる部分もある。母が忙しすぎて、そして大変すぎたせいで、家族の話題は往々にして母のことが中心になっていたからだ。そしてそのことで私が寂しくなっていることに気づいた人間はいなかった。自分から「寂しい」と言えばよかったのだろうが、それはわがままのようで気が引けて、私は何も言わなかった。ただでさえ忙しい両親の手をそれ以上煩わせたくなかったし、何よりその時期母が忙しかったのは自分のせいだと思っていたし、自分がいなければもっと母は幸せだったろうと思っていたから、何も迷惑をかけたくなかった。心配をさせたくなかった。だからなるべくいい子を演じていた。今でも覚えている。本当はすごく寂しかったこと。かまってほしかったこと。姉は平気だったらしいけれど、私はそのへんが耐えられなくて、少々歪んで育ってしまった。

優しいし思慮深い、けれど鈍感で気遣いのできない父。ギャンブルもしなければ酒も飲まず、趣味はスーパーでおせんべいや飴やチョコを買って食べること。短気で怒りっぽいときもあるけれど、歳をとるごとにだんだん柔らかくなってきて、にこにこしている時が多くなったように思う。

そしてそれは、老い先が短いということの証拠なのだ。

もうあまり、一緒にはいられないのだ。

私も寂しいけれど、なにより娘たちのことが大好きな父の寂しさを思うと胸が痛む。私や姉が結婚をしたり、歳を重ねていく様をもうあまり長くは見られないのだから。遅い結婚だったのだから仕方ない。それは父の自己責任だ。それに私は父を恨んでいる部分もある。…とは思うのだけど、それでもやっぱりかわいそうだと思ってしまう。

だから一緒にいられる時はできるだけ長く一緒にいたいし、色んなことを一緒にしておきたいと思う。時には多少無理をしてでも。

でも今日に限っては、私の精神的な余裕があまりになさすぎて「一緒にご飯を食べる」というイベントを断ってしまった。本当であれば私のいきつけの、大好きな定食屋さんで大好きなニラレバ定食を食べるということを父は楽しみにしていたようなのだが、あまりにも私が追い込まれており、一旦はいいよと言ったもののうだうだ悩んだ挙句「今日は無理…」と言ってしまったのだった。

そしてそのとき、「みかげさんは無理をしてでも一緒に食べようと思ってくれたんだよねえ。優しい子なんだよねえ」と父が言い、大きな温かい手で私の頭を撫ぜた。

瞬間、胸が詰まって泣きたい気持ちになった。

私は。

私は本当に、優しい子なんだろうか。

定食屋、きっと本当はすごく楽しみにしていたのだろう。食べログに乗っている写真を見て涎を垂らしていたのを確かに私は見た。

でも、日々の自分の管理さえまともにできなくて、こういう大事な時に時間を作れない私。結局は自分のことを優先させてしまう私。父の願いを叶えてあげられない私。

私は本当はわがままで、いつも憂鬱で、迷惑をかけてばかりで、本当だったら、本当だったら生まれてこなかったほうがきっとみんな幸せで・・・。

……というのは私の勝手な妄想であり、ぞっとするほど気持ち悪い自己憐憫なんですけど。

 

おじいちゃんが亡くなってから、こういうことをよく考えるようになったなあと思う。すごく切ない気持ちになる。そしてたまに1人で泣いてしまう。

 

rerumrum.hatenadiary.com

 

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4月から東京で働くことになったから、これからはますます会えなくなる。だから今のうち、沢山会えるうちに沢山思い出を作っておいて、父がいよいよ死ぬというときになったら、一番記憶に新しい最近の”楽しかった思い出”に囲まれて、きらきら幸せな気持ちに包まれて向こうへいけるようにしてあげたい。果たしてそんなこと、できるかどうかもわからないけれど。

孝行者になりたいな、と思うセンチメンタルな日々。

 

youtu.be

おばあちゃんからの手紙

みかちゃん

 

先日はお手紙をありがとうございました。いつも思っていて下さることが充分に伝わってきました。何度も読みました。ありがたく嬉しく思います。間もなく2年になります。過ぎてみれば早い様でもあり つい昨日の様にも!!

昨年は本当に日々虚しくて仏様の前では「何で…こうなったの?…」本当に皆んなにびっくり悲しくさせました。私もこんなことが人生には誰にでも起こりうることを全く想うこともしないで来たことも今になり少しは心の準備をしておくべきだったとも思ったりしています。周りに反対されて結婚し四十九年に二日足りずの別れでしたね。

色々はあったけど実直なパートナーで…でもあの年は一緒に色々旅行ができたのでした。想い出です。

就活も本当に大変でしたね。大した協力も出来ずにお許し下さいね。

おじいちゃんが元気だったら一つ返事で海外旅行のことも「みかちゃん よろしくナー」と言ったでしょうね。

私は静かな日本での旅で充分です。みかちゃんの気持ちで充分です。とりあえず一報まで。又ね………

 

バーより

おばあちゃんへの手紙

おばあちゃんへ

 

お元気ですか。前に痛めた足腰の具合はどうですか。風邪を引いてはいませんか。

この前は美味しいものをたくさん送ってくれてありがとうございました。

お母さんと相談して、もらった牛肉は玉ねぎと炒めて牛丼にして美味しく頂きました。お母さんはしきりに「おじいちゃんは牛肉を醤油と砂糖で甘辛く焼いて食べてたなあ」と言っていましたが、そういえばそうだったかもしれません。我が家の食卓にもよくそんなおかずが登っていたのですが、あれは”母の味”というよりもむしろ”おじいちゃんの味”だったのかもしれません。

こんな風におじいちゃんのことを思い出すとき、おじいちゃんのことを生きていたときよりも近く感じることがあります。おそらく、生きていた頃は生きていることが当たり前で、いつも当然元気な姿を見れるものだと油断していたのだと思います。本当は誰だって明日の命は保証されていないというのが真実なのに。そして運命か神様の悪戯か、その”当たり前”がいきなり奪われてしまったおばあちゃんはどんなに辛かっただろうかと、私はいつもおばあちゃんのことを気にかけていました。

人生の中で最も辛いとされるのは、パートナーとの別れだそうです。おじいちゃんが亡くなってからいくら月日が経ったとはいえ、やっぱり悲しいものは悲しいし、辛いものは辛いと思います。それでも何とか前を向いて、それにじっと耐えてきたおばあちゃんのことを私は心底尊敬します。おばあちゃん、すごい!!

私もおじいちゃんのことを思って、私なりにずいぶん悲しくなったりさみしくなったりしていました。けれど一方で”生きていたときより近く感じる”ことが多く、不思議に思っていました。

そしてある日、はたと「これが生き続けるということか」と思い至りました。人は死んでしまったらそれで終わり……という訳ではなく、その人の好きな食べ物、一緒に行った場所、色んな話をしたこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、時にはケンカをしたこと……そういうことを覚えている限り、折に触れてそれらを思い出す限りはまだ”生きている”ように思います。

話は変わりますが、来年からの進路が決まりました。なんと、おばあちゃんが生まれた場所に行くことになりそうです。不思議な縁ですね。

諸々のことが終わって、忙しさが落ち着いたら、おばあちゃんと旅行に行きたいです。実は春からずっとこのことばかり考えていました。思い切って海外旅行なんてどうですか?折角英語を話せるようになったことだし、ハワイとか行きたいです。お互い元気なうちに、時間のあるうちに、いつかおばあちゃんと一緒に海外へ行くのが私の夢でした。

良いお返事まってます。

 

みかげより

(みじかい日記)いまから百年後に

いまから百年後に

私の詩の葉を  心をこめて読んでくれる人

君は誰かー

こんな一節から始まる詩がある。インドの詩人、タゴールの『百年後』という詩である。

この詩を知ったのは母校での教育実習中だった。私が現役JKだった頃在籍していた合唱部がコンクールでこの詩の歌をうたうらしく、部活見学に行った折に知ることとなった。

詩も素晴らしいし、それにつけられた旋律もとても素晴らしくて、ああ、これを女声合唱で歌ったらすごくいいだろうなあ……というかんじだった。

どんなふうに詩が素晴らしいか、ということは「とにかく読んでください」の一言に尽きる。個人的には『春はあけぼのショック』以来の衝撃を受けた。『春はあけぼのショック』とは高校生の時に私が『春はあけぼの』を勉強した際にその世界観や清少納言の感性に衝撃を受けたことを指す。タゴールとはおそらく、非常にしなやかな繊細さをもっており、音、光、色、温度など、自然界のあらゆるものの観察眼に長けていた人物なのではないかと思う。少なくとも私にとってはそう思わせる作品だった。

 

来週、この歌の生演奏を聴きに行くのでとても楽しみ。

 

(最近長文を書く体力と忍耐力がないので、「みじかい日記」)